「百聞は一見に如かず」という諺でよく知られている表現です。「人の話を何度聞くよりも、一度自分の目で実際に見る方がよく分かる」ということですが、確かに自分の目で見ないと信じられないということはよく分かります。しかし、自分の目で見れば納得するというのは、当たり前と言えば当たり前で、目に見えないものであっても信じられるということが大切になってくることもあると常々思ってきました。
やや昔、二十歳過ぎの頃に、ある人から、目に見えないものを信じること云々という話をきいてから、ずっと頭の中に残っています。
関連して、少し話は飛躍しますが、これまで生徒によく尋ねてきたことがあります。
それは、「自分の家のゴミを外に捨てている人?」と。まさか?何を聞いてくるんだろう?という顔をしながら、誰一人として手をあげる者はいません。そんな事をするはずはないじゃないか、という反応です。
そこで今度は、「家でエアコンを使ったことのない人?」と。使ったことがないという者はほとんどいません。
次に、「じゃあ、エアコンから何か外に出ているのは知ってる?」と。「冷房を使うと外のファンから熱が出て行くよね?」と畳み掛ける。そして、「外にゴミを捨てないということは当たり前なのに、目には見えない熱には気付かない、無頓着になっているんだよね」「ゴミは個体、熱は気体だから、注意しないと見過ごしてしまう。人は目に見えないものには関心を示さない。」と。
これからの季節、特に都会においては、「今日は熱中症で何名搬送された」、「昼間の気温が人体温度を超えて最高気温を更新した」、やれ「熱帯夜だ」といったニュース報道がなされるでしょう。しかし、その元凶には、エアコンの例のように、自分たちがその要因を生み出していることもあると思います。
今年ほど、「目に見えないものの恐怖」について皆が思い知ったことはないのではないかと思います。コロナです。目に見えるものに対しては、何かしらの対策も立てようがあるが、目に見えないものの対処がいかに困難を極めるか、世界中で改めて認識させられた教訓となりました。これからは「コロナ」以前とは人々の考え方も、社会構造も大きく変わっていくでしょうし、また変わらざるを得ないと思います。
できるだけ早く、「コロナ」が収束に向かっていくことを願いたいと思います。
(文責:上猶 )